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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)4391号 判決

原告 鈴木勇

被告 合資会社土井商店

主文

被告は原告に対し金二十一万五千円と、これに対する昭和二十九年三月十一日以降完済までの年六分の金員を支払へ。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として被告は訴外光洋硝子株式会社に宛て昭和二十八年十二月三十日金額二十一万五千円満期昭和二十九年三月十日、支払地並に振出地東京都新宿区、支払場所株式会社三菱銀行新宿支店とした約束手形一通を振出し右手形は光洋硝子株式会社(以下単に光洋硝子と略称する。)より訴外三光窯業原料株式会社を経て原告に何れも支払拒絶証書作成義務免除の上順次裏書譲渡され原告は現にその手形の所持人であるが、満期に支払場所に呈示して支払を求めて拒絶された。よつて被告に対し手形振出人として手形金二十一万五千円とこれに対する満期後の昭和二十九年三月十一日以降完済までの手形法所定の年六分の利息の支払を求めるものである。

被告の抗弁事実中光洋硝子が会社として存在しないものであることは認めるが、本件手形取得当時原告が右不存在の会社であることを知つていたとの点は否認する。その余の抗弁事実は不知、本件手形の受取人である光洋硝子が架空のものであつても基本手形は手形として有効であり、又本件手形取得当時仮に原告が光洋硝子の架空のものであることを知つていたとしても、手形の有効性に変りはないので、原告の手形上の権利取得の支障とはならない。

と述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張事実中被告が原告主張の約束手形一通を作成してこれを光洋硝子の常務取締役と自称する訴外源喜代三に交付したこと、原告の手に右手形が現に所持されていること並に右手形が原告主張の如く満期に支払場所に呈示され、支払を求められたことは何れも認めるが、その余の点は不知と述べ、

抗弁として、被告は硝子壜販売業者であるが、同業者である訴外秋元角次郎の紹介で製壜業を営む光洋硝子の常務取締役と称する源喜代三との間に、光洋硝子からラムネ壜を買受けることを約し、その買受代金前渡のため本件手形を作成交付したものである。ところがラムネ壜の納入期がすぎても、光洋硝子からのラムネ壜の納入がないので、被告と前述の源との間で上叙ラムネ壜売買契約を合意解除し代金前渡のため交付された本件手形は源から被告に返還することに約定されていた関係に在るのであるが、元来光洋硝子というのは登記もない架空の会社で、存在しないものであるから、本件手形(手形の紙片を指称する。)の所有権を取得することはできない。ところで手形債権は手形の所有権者が手形を所有することによつて原始的に取得するものであるが、手形の所有権は手形振出人を最初の所有者として裏書譲渡により順次被裏書人に承継取得されるものであるところ光洋硝子が手形の所有者たり得ないことは前述の通りであるから右光洋硝子から順次裏書譲渡を受けたと主張する原告において、手形の所有権を取得するわけがないし、又原告は本件手形の所持を取得する当時光洋硝子の架空のものであることを知つていたのであるから手形法第十六条第二項但書の場合に該当し右但書を除く同法条の保護も受けられない。されば原告は本件手形の所有権者でないから手形債権を取得しないのである。と述べた。〈立証省略〉

理由

被告が原告主張の約束手形一通を作成して、これを光洋硝子の常務取締役と自称する訴外源喜代三に交付したことは被告の認めるところである。右作成に係る基本手形は約束手形としての必要な記載要件を形式上具備していることは勿論、記載自体には、合理的に不可能だと認められる事項(たとへば満期が振出日附前となつているようなもの)もないので、その記載事項が現実の事実と相違しても右手形が一旦流通に置かれたときは手形としてその効力を有することになると考へなければならない。従つて右手形に受取人として表示されている光洋硝子が実在しなくとも、手形としての上述の潜在的効力を否定することはできない。ただ、手形を被告が取引のため実在しない会社の代表者と称するものに交付した結果、手形が被告の支配を離れたときに手形は流通に置かれて、所謂振出されたものと云ひ得るけれども、右自称代表者の手に存する限りは、手形上の権利を行使できるものがないだけのこと(恰も遺失されてまだ拾得されない手形に類する状態)である。

本件において被告が光洋硝子から買受を約したラムネ壜の前渡代金の支払のため本件手形を光洋硝子の常務取締役と称する源喜代三に交付したことは被告の自陳するところであり、又光洋硝子がその実、架空のもので存在しないものであることは本件当事者間に争がないので、本件手形はすでに源に交付されたときに流通に置かれ、手形としての効力を有するに至つたけれども、源の手に存する限り手形上の権利を行使し得るものがないだけのことであることは上来説示したところにより明である。(尤も被告は本件手形が無効だとは主張していない。原告が特に有効だと主張しているのも、実は原告の手形上の権利取得を理由づけるためであることが看取される。)

『さて、本件手形が流通に置かれ、手形としての効力を有するに至つたことは以上の通りであるがその表面の成立に争のない甲第一号証の一の裏書がその記載の形式上原告に至るまで連続に欠けるところがないことと、当事者間に争のない原告が現に本件手形をその手に所持している事実とを綜合すれば原告は適法の所持人と看做されるので、被告が単に原告主張の裏書譲渡の事実を争い、並に甲第一号証の一の裏書の一部又は全部の成立を争つただけでは、原告の手形上の権利を否定できないのである。』

そこで被告の抗弁について考へる。被告は先づその主張する手形の裏書についての理論からして、原告の手形上の権利の取得を否定するのであるが、手形の裏書譲渡関係について、手形(紙片)の所有権の取得と、手形上の権利の取得とを分離し、前者を承認取得、後者を前者の取得による原始取得として理解しようとする考へ方は、手形債務者の裏書人に対抗し得る事由を善意の被裏書人に対抗できないことを理由づけるために案出されたもので、古くから外国並に我国に存する学説であり、被告の独断ではないが、この考へ方は手形を一方において権利を化体(形容に過ぎないにしても)した完全な有価証券として権利の把握と手形(紙片)の所持とを不可分のものとしながら、他方において手形上の権利と手形紙片の所有(紙片の所有権の如きものを観念しなければならぬところに巧緻ではあるが、技巧に走り過ぎた馬鹿らしさがあるであろう。)とを区別する矛盾があり、現時における通説とは思はれない。『手形の裏書譲渡は手形上の権利を含む(むしろ化体した)有価証券自体を不可分的に譲渡するものであると卒直に考へるのが理論上も素直であり、取引当事者の意思にも合致するものである。「何人も自己の有する権利以上のものを他人に譲渡することができない。」ということに対する例外として、手形債務者から対抗される事由をもつている裏書人から手形の譲渡を受けた善意の被裏書人が対抗されない完全な手形上の権利を取得するものとされるのは、手形が流通証券である関係上、取引の安全を確保するため、政策的見地から採られた善意の被裏書人保護の結果にすぎない。手形の記載に信頼して手形の裏書譲渡を受けたものはその記載自体より期待し得る権利を取得できるものとする制度なのである。』

以上の見地から被告主張の手形理論は採用できないし、又本件において手形の受取人として表示された光洋硝子が、実在しない会社であつても、手形の記載自体からはその実在しないことは知り得ないのであるから、手形の記載を信頼して光洋硝子の代表者と称するものの手から更に流通に置かれた手形の裏書譲渡を受けたものは、その手形(紙片のみではない。権利を化体した有価証券として手形上の権利と不可分に)を取得できるのであるが、訴訟上、手形の所持人は自己並に受取人に至るまでの自己の前者の手形取得を立証する必要はなく、現に手形を所持する事実と手形の裏書の自己に至るまでの形式上の連続に欠けるところがないことを証明さへすれば手形法第十六条による保護を受け、手形上の権利者としてその権利を行使できるのである。以上判示したところにより光洋硝子が実在しない会社であることを理由として原告が手形上の権利を取得できないとする被告の抗弁は採らない。

被告は次に原告は本件手形の所持を取得する当時、光洋硝子の実在しないことを知つていたから手形法第十六条の保護を受けないと抗弁するが、(原告は光洋硝子の実在しないことは手形を無効たらしめないから、その実在しないことを原告が知つていたとしても手形を取得できると云うが、実在しないことを知つて手形を取得したものについては手形法第十六条第二項但書の適用を受ける結果、少くとも原告に対しては手形上の権利を取得できないであろう。)証人源喜代三、秋元角次郎の各証言並に被告代表者訊問の結果中この点に関する部分は何れも的確な証拠とは云へないし、他に本件手形取得当時、原告が、光洋硝子の実在しないことを知つていたことを認め得る証拠がないのみならず、却つて証人塩谷清太郎の証言並に原告本人訊問の結果によれば、原告は本件手形取得前、光洋硝子の常務取締役と称する訴外塩谷清太郎から光洋硝子は原告が予て知つていた実在の太平硝子合資会社の商号を変更して登記した会社であると聞かされていたもので、手形取得後の昭和二十九年二月になつて初めて光洋硝子の実在しないことを知つたことが認められるので、被告のこの抗弁も採用できない。

ところで、本件手形の満期に支払場所に支払のための呈示があつたことは被告の認めるところであるから、被告に対し振出人として手形金二十一万五千円とこれに対する満期後の昭和二十九年三月十一日以降完済までの手形法に定められた年六分の利息の支払を求める原告の本訴請求は正当である。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 毛利野富治郎)

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